
~分断の悲劇を力強く語る党舎~朝鮮労働党舎跡
1946年に完成した朝鮮労働党鉄原郡の党舎。北朝鮮が共産独裁政権の強化と地域住民の統制を目的に建てられました。鉄筋コンクリートとレンガを組み合わせた3階建ての建物は、ロシアの社会主義リアリズム1の影響を受けています。
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1946年に完成した朝鮮労働党鉄原郡の党舎。北朝鮮が共産独裁政権の強化と地域住民の統制を目的に建てられました。鉄筋コンクリートとレンガを組み合わせた3階建ての建物は、ロシアの社会主義リアリズム1の影響を受けています。
鉄原郡北方にあるこの白馬高地は韓国戦争(朝鮮戦争)当時、最も激しい戦場となった場所です。1952年10月6日空軍からの対空戦で10日間にわたる大血戦が繰り広げられた白馬高地戦闘は相互の砲弾落下30万発が炸裂し高地の所有者が24回も変わりました。この先頭で空軍は約14,000名あまりの死傷者を出したと言われています。
展望台に登る途中に、小さな記念館が建てられています。当事の状況や歴史が記されており、戦争の悲劇を物語っています。
一番上まで上ると、展望台があり、北朝鮮を眺めることが出来ます。時期によっては鶴が飛んでいるのを見ることが出来ます。
ソウル首都圏・坡州(パジュ)市の最北エリアにある「臨津閣(イムジンガク)国民観光地」。2005年の世界平和祝典をきっかけに、平和の大切さと統一の重要性を知らせるために造成されました。停戦後、韓国軍の捕虜12,773人が北朝鮮から帰還する際に使用された「自由の橋」もあります。